福岡地方裁判所 平成3年(行ウ)22号 判決 1997年3月25日
原告 岸川廣明
被告 筑紫税務署長、国
代理人 富岡淳 畑中豊彦 ほか四名
主文
一 被告筑紫税務署長が平成二年三月二日付けでした原告の昭和六二年分の所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定のうち、所得金額を四二五万〇五一三円として計算した額を超える部分を取り消す。
二 原告の被告筑紫税務署長に対するその余の請求及び被告国に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用は、これを八分し、その七を原告の負担とし、その余を被告筑紫税務署長の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 主文第一項と同じ
2 被告筑紫税務署長が平成二年三月二日付けでした原告の昭和六一年分の所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定(ただし、いずれも異議決定により取り消された後のもの)のうち、所得金額を三〇七万七八八八円として計算した額を超える部分を取り消す。
3 被告国は、原告に対し、金一〇〇万円及びこれに対する平成二年三月二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
4 訴訟費用は被告らの負担とする。
5 第3項につき仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
3 第3項につき仮執行免脱宣言
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
原告は、昭和六一年及び昭和六二年当時、住所地に作業所及び事務所(以下「原告事務所」という。)を置き、自動車板金塗装業並びに新車及び中古車の販売業を営んでいたいわゆる白色申告者である。
2 確定申告から裁決までの経緯
原告の、昭和六一年分及び昭和六二年分(以下「本件各年分」という。)の所得税の確定申告から裁決までの経緯とその内容は、別表一の1及び一の2記載のとおりである(以下、昭和六一年の所得税についての異議決定により一部取り消された後の更正及び過少申告加算税賦課決定並びに昭和六二年の取得税についての更正及び過少申告加算税賦課決定を総称して「本件各処分」といい、そのうちの更正のみを「本件更正」という。)。
3 調査の違法性
(一) 原告事務所への無断立入り
平成元年七月三一日、当時筑紫税務署の調査担当者であった山本幸教(以下「山本」という。)は、午後一時一一分ころ、税務調査の目的で原告事務所を訪れたが、当時、事務所内は、原告を初めとして原告の妻及び従業員三名のいずれも不在であり、事務所と屋根続きになっている住居部分の奥の部屋に、原告の長女で当時一六歳(高校二年生)であった岸川明美(以下「明美」という。)がいるのみであった。
原告事務所の入口は引き戸で山本が訪れた時は閉まっており、戸の右上部分にはブザーが設置されていたにもかかわらず、山本は、この引き戸を開け、帳簿等原告の事業に関する取引関係書類の一切が机に置かれていた三畳位の右事務所内に無断で立ち入った。明美が山本の「ごめんください。」という声に応じて原告事務所に出た時は、既に山本が右事務所内に侵入していた。
山本の右行為は住居侵入罪に該当する違法行為である。
(二) 明美に対する質問検査権の行使
山本は、無断で原告事務所内に立ち入った後、明美に対し、「お父さん、お母さんは。」と尋ね、明美が「今仕事で出ていますから。」と答えると、「待たせてもらう。」と言って長椅子に腰かけ、その後一五分から二〇分間事務所に居座り続け、その間、明美に対し、「ペリカン便もしよるとね。」「働いている人は何人いるの。」などと質問を重ねた。
質問検査権の行使は、所得税法二三四条一項各号に列挙された納税義務者らに対してのみ行使が許されているところ、山本の右行為は、質問検査権を行使できない未成年の第三者に対し、税務調査の核心である業種や経費の内訳に関係する事業内容を質問したものであり、右条項に違反する違法行為である。
4 本件各処分の違法性
本件各処分は、前記3の違法調査に基づいてなされたものである他、その必要性及び合理性がないのに推計課税の方法によりなされたものであって、違法である。
5 国家賠償責任
被告国は、国家賠償法一条一項に基づき、山本の前記3の違法行為によって原告の被った損害を賠償する責任があるところ、原告は、山本の右違法行為によって、心労、信用失墜等の多大な精神的苦痛を被り、これを金銭に換算すると一〇〇万円に相当する。
6 よって、原告は、被告筑紫税務署長(以下「被告署長」という。)に対し、本件各処分のうち、昭和六一年分については所得金額を三〇七万七八八八円として計算した額を超える部分、昭和六二年分については所得金額を四二五万〇五一三円として計算した額を超える部分の各取消しを求めるとともに、被告国に対し、国家賠償法に基づく損害賠償として一〇〇万円及びこれに対する不法行為の日の後である平成二年三月二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因1及び2の各事実は認める。
2(一) 同3(一)のうち、山本が税務調査のため原告事務所を訪れたことは認め、その余は否認ないし不知。
山本は、開扉されていた事務所入口の外から声を掛け、応対に出た明美の了解を得た上で、原告事務所内に一〇分程度立ち入ったにすぎない。
(二) 同3(二)のうち、山本が、明美に原告その他責任ある対応ができる者の在宅の有無を確認し、明美が原告の不在を告げたこと及び山本が宅配便の取扱いを話題にしたことは認め、その余は否認する。
山本の行為は、明美に対して原告その他責任ある対応ができる者の在宅の有無を確認し、これらの者が不在であると言われたため原告への伝言をメモして明美に交付したというだけのものであり、また、宅配便の点については、山本が、右伝言をメモ書きする間、明美の気分を和らげるために雑談の一つとして右宅配便の取扱いを話題にしたにすぎないものであるから、これらのやりとりは質問検査権の行使にはあたらない。
仮にこれが質問検査権の行使にあたるとしても、未成年者に対する質問検査権の行使を禁ずる法令の規定は存せず、税務職員が未成年者に質問検査権を行使したからといって直ちに違法となるものではない。
3 同4及び5の各事実は争う。
三 被告署長の主張
1 推計課税の必要性
(一) 原告の非協力的態度
山本は、前記平成元年七月三一日の他、同年九月六日、同年一〇月二五日及び同年一一月一〇日に、調査のため原告事務所に臨場したが、右九月六日以降、原告は、調査に関係のない第三者を多数同席させたり、具体的な調査理由の開示や前記七月三一日の山本の対応についての謝罪等を要求し、右要求を受け入れない限り調査に協力しないとの態度に終始し、帳簿書類を一切提示せず、調査に応じようとしなかったものであり、推計課税の必要性は十分存在する。
(二) 原告の帳簿書類の不備
原告は、本訴提起後に帳簿書類を提出したが、そのうち総勘定元帳は本訴提起後に作成されたものであり、また、税務調査時に備え付けていたと思われる日計表についても、請求書控えから把握された記帳もれや領収書控え等から把握された記帳もれが多数存在するなど、不完全不正確なものである。したがって、税務調査時にこれが原告から任意に提示されたとしても、被告署長において原告の右帳簿を基に実額計算をすることは到底不可能であったというべきであるから、この点からも推計課税の必要性は十分存在する。
2 推計による計算方法
被告署長が本訴において主張する本件各年分の原告の事業所得の金額及びその算出根拠は以下のとおりである。
(一) 売上原価の額
被告署長は、原告の仕入取引先を反面調査して、本件各年分及び昭和六三年分の仕入金額を把握し、その合計額をもって売上原価の額と認めた。その内訳は、別表二記載のとおりであり、その合計額は、昭和六一年分については四一二万二〇一七円、昭和六二年分については八一六万二六一八円、昭和六三年分については五一七万六一七六円である。
(二) 売上金額
(1) 類似同業者の選定
被告署長は、原告の事業所を所轄する筑紫税務署及び同署に隣接する福岡、西福岡、博多、香椎、久留米、甘木及び鳥栖の各税務署管内に事業所を有する所得税の確定申告書の提出者の中から、(ア)自動車板金塗装業を営む者であること、(イ)本件各年分及び昭和六三年分について青色申告の承認を受けている者であること、(ウ)売上原価の額が、原告のそれの概ね半分以上二倍以下の範囲にある者であること(すなわち昭和六一年分については二一一万円以上八四三万円以下、昭和六二年分については三七四万円以上一四九四万円以下、昭和六三年分については一九一万円以上七六一万円以下の範囲)、(エ)本件各年分及び昭和六三年分のいずれも中古車又は新車の販売を行っている者であること、(オ)本件各年分及び昭和六三年分のいずれも地代家賃の支払があること、(カ)昭和六一年一月から昭和六三年一二月までの三年間を通じて自動車板金塗装業を営んでいる者であること、(キ)災害等で経営状態が異常であると認められる者及び不服申立て又は訴訟が継続中の者のいずれにも該当しないこと、以上の各条件のすべてに該当する者を抽出したところ、二名が得られた。
右類似同業者二名の、本件各年分における売上金額、売上原価の額及び青色申告者に限って認められる必要経費の額を控除する前の所得金額は別表三のとおりであり、その売上原価率及び所得率並びにそれぞれの平均は別表四のとおりである。
(2) 売上金額
本件各年分の原告の売上金額は、前記(一)の売上原価の額を右(1)で得られた類似同業者の売上原価率の平均値で除して算出し、その金額は、昭和六一年分については一七九二万一八一三円、昭和六二年分については三二六五万〇四七二円である(別表五<1>~<3>)。
(三) 事業専従者控除額控除前の所得金額
本件各年分の原告の事業専従者控除額控除前の所得金額は、前記(二)(2)の売上金額に前記(二)(1)で得られた類似同業者の所得率の平均値を乗じて算出し、その金額は、昭和六一年分については四四八万〇四五三円、昭和六二年分については六二〇万三五八九円である(別表五<3>~<5>)。
(四) 事業専従者控除額
被告署長は、原告の妻である岸川ヒロヨが本件各年分の事業専従者に該当すると認めた。その控除額は、昭和六一年分については昭和六二年法律九六号による改正前の所得税法五七条三項一号により四五万円、昭和六二年分については、昭和六三年法律一〇九号による改正前の所得税法五七条三項一号により六〇万円である。
(五) 事業所得の金額
本件各年分の事業所得の金額は、前記各年分の事業専従者控除額控除前の所得金額から事業専従者控除額を控除して算出し、その額は、昭和六一年分については四〇三万〇四五三円、昭和六二年分については五六〇万三五八九円であって、本件各更正に係る事業所得の金額をいずれも上回る。
したがって、本件各更正は適法である。
3 推計の合理性
推計課税における推計方法は、納税義務者間の課税の公平、限られた資料や時間の制約、税務署長等の調査能力などに照らし、社会通念上合理的であると認められるものであれば足りるというべきであるところ、被告署長は、前記のとおり、原告の仕入先を調査して把握した売上原価の額に、原告と業種、業態、規模等が類似する同業者の売上原価率及び所得率を適用して本件各年分の事業所得の金額を推計したもの(以下「本件推計」という。)であって、右同業者の抽出は、福岡国税局長が発した通達に定める基準に従って適正に行われ、かつ右抽出過程に被告署長の作為の介在する余地がないから、本件推計には合理性がある。
4 本件各処分の適法性
原告は、前記各更正によって申告額の他に新たに税額を納付すべきことになったので、被告署長は右の増差額について国税通則法六五条一項(昭和六一年分については昭和六二年法律九六号による改正前のもの)に基づき過少申告加算税を賦課したものであり、本件各処分はいずれも適法である。
四 被告署長の主張に対する原告の認否
1 被告署長の主張1は否認する。
原告は、帳簿書類を調査の際に用意しいつでも山本に提示できるようにしていたが、山本が前記の違法調査を行い、その後もこれを問題にする原告の声に耳を傾けず、また調査理由を教えてほしいとの原告の申出にも応じないなど、強引かつ不親切な態度で調査を敢行しようとしたため、原告がこれに抗議したもので、調査が円滑に進行しなかった原因は山本の側にある。
また、原告は、日計表、領収証、請求書などその日常業務の売上、仕入を裏付ける原始資料はほとんどもれなく保存保管しており、これらの書類に基づいて原告の所得税の実額を確定することは十分可能であった。
2 被告署長の主張2のうち、(一)及び(四)は認め、(二)、(三)及び(五)は争う。
3 被告署長の主張3は争う。
本件推計は、選定件数、選定基準、選定過程、売上原価率の差異の無視等の点で次のとおり合理性を欠くものであって違法である。
(一) 被告署長は、わずか二件の類似同業者の平均値によって同業者率を求めている。
(二) 被告署長は、右類似同業者を抽出する選定基準として、売上原価の額を、反面調査により把握した原告の仕入金額の二分の一から二倍までという極めて大きな範囲としている。
(三) 被告署長の選定により抽出された類似同業者は、更正決定及び異義決定の段階では四業者であったにもかかわらず、審査裁決の段階では二業者に減っており、右抽出過程は信用できない。さらに、被告署長は、最終的に抽出された前記二業者について所在地、業態、業務内容等を一切明らかにせず、申告決算書や税額計算書も提出していないものであって、類似業者の抽出を恣意的に行っているといわざるを得ない。
(四) 原告の営む自動車板金塗装業と自動車販売業とは売上原価率が大きく異なるにもかかわらず、これを区別した推計を行っていない。
4 被告署長の主張4は争う。
五 実額についての原告の主張
1 原告の本件各年分の事業所得の金額は、次のとおりである。
(一) 昭和六一年分
売上金額 一七五五万二六三三円
売上原価 六六一万四三二三円
その他の経費 七四一万〇四二二円
事業専従者控除額 四五万円
事業所得金額 三〇七万七八八八円
(二) 昭和六二年分
売上金額 一九九五万二九九五円
売上原価 九四五万九七三八円
その他の経費 五六四万二七四四円
事業専従者控除額 六〇万円
事業所得金額 四二五万〇五一三円
2 所得税法は、青色申告者と白色申告者、その業種、業態、規模等の実情に応じて、記載事項の省略を認めているところ、原告は、前年及び前々年の確定申告額が三〇〇万円を超えないものであって帳簿の作成が要求されていないのであるから、おのずと作成・保存すべき資料は限られたもので足りるはずであり、原告の保存する書面程度で実額の確定は十分可能である。
六 実額についての被告署長の主張
1 実額反証を主張する者は、(一)その主張する収入及び経費の各金額が存在すること、(二)その収入金額がすべての取引先からのすべての収入金額(総収入金額)であること、(三)その経費がその収入と対応するもの(必要経費)であること、の三点を証明しなければならない。
2 原告の主張する売上金額及び一般経費の金額は、以下のとおり、客観的な根拠を欠くもので信憑性がない。
(一) 売上金額
原告の帳簿書類は、請求書は作成されているが日計表に記帳されていない取引、領収書は作成されているが日計表に記帳されていない取引等が多数存在し、原告が実額主張の根拠としている日計表には記帳漏れが多数存在し、かつ、原告の現金取引のすべてについて領収書等が作成されるわけではないことから、原告主張の収入金額が、原告の事業に係るすべての収入金額であるとは到底認められない。
(二) 一般経費
原告の領収書には、宛名が原告名でないものがあり、信憑性がない。
第三証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録のとおりであるから、これらを引用する。
理由
一 請求原因1及び2の各事実は当事者間に争いがない。
二 調査の違法性(請求原因3)について
1 当事者間に争いのない事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
(一) 原告方は、その敷地内に住居、作業所及び原告事務所があって、右事務所と住居とは接着し、事務所の奥が住居となっていた。事務所の入口は引き戸で、その右上部にブザーが取り付けられていた。
平成元年七月三一日、当時筑紫税務署の国税調査官であった山本は、午後一時過ぎころ、原告に関する本件各年分及び昭和六三年分の所得税調査のため、原告事務所に臨場した。このとき、原告事務所は原告及び従業員が外出中で、ヒロヨもちょうど午後一時過ぎころから外出したところであったため、事務所の奥に続く住居内に当時一六歳であった明美のみがいた状態であった。
(二) 山本は、事務所入口の開いていた引き戸の外から「ごめんください」と声を掛け、奥の住居から出てきた明美に「山本ですが」と名乗って事務所の中に入り、税務署員である旨自己の身分を告げた。
山本が明美に対して原告及びヒロヨの在宅の有無を尋ねたところ、外出中との答えであったため、さらに山本が「従業員の方はいらっしゃいますか」と尋ねると、明美はさあという様子で首を傾げたので、不思議に思った山本は、続けて「一人もいらっしゃらないでしょうか」と尋ねた。しかし、明美はこれに対してもさあという様子で明確な答えをしなかったため、山本は、この日は不在連絡票を置いて税務署に戻ることとした。
山本は、不在連絡票に必要事項を記入する間、明美の不安そうな様子を紛らわそうと、「今休みですか」などと世間話をし、また、原告事務所に臨場する際、原告方の敷地内にペリカン便の取次店の看板があったことから、「ペリカン便もしよるとね」等と話しかけた。その後、山本は不在連絡票を封筒に入れ、これを原告に渡すよう依頼して明美に交付し、原告事務所に来訪してから一〇分ないし一五分後に右事務所を出た。
2(一) 以上に対し、ヒロヨは、この日原告事務所入り口の引き戸を閉めてから外出しており、帰宅後明美から、山本の行動について、明美が事務所へ出ると既に山本が事務所内に入っていたと聞いている旨述べる。しかし、当日ヒロヨが記載したというノート(<証拠略>)には、「山本ですが」の記載に続けて「事務所に入って来る」と書かれ、山本が明美に断ってから事務所内に入ったように聞いたとも思われる記載となっており、これと食い違うヒロヨの証言は信用性に乏しい。他方、山本の証言は、引き戸の外から中を覗くと奥が自宅になっている様子であったため、奥に向かって声をかけたと具体的に証言していること、その後のやりとりについても、明美の身上から原告らの在宅の有無を問い、従業員の話に推移していく様子を詳細に記憶しており(<証拠略>)、内容も自然で合理的であることから信用性が高いものと認められる。
(二) また、ヒロヨは、山本が明美に「従業員は何人いるの」と聞いたと述べるが、初対面の未成年にいきなりこのような問いかけをすることは不自然であって通常は考えられず、山本が述べるように、明美が原告の娘であることを確認し、両親の在宅の有無を聞いたところ外出中との答えであったため、それでは従業員はどうかということで従業員の有無を聞き、これに対する明美の返答がはかばかしくなかったことから、一人もいないのかと再度問いかけた(<証拠略>)という流れが自然で合理的である。また、一人もいないのかとの最後の質問についても、原告方に勤務している従業員の数を確かめるための質問とは認められない。
(三) さらに、原告は、山本が宅配便の取扱いを話題にしたことについて、原告の事業内容について違法に質問検査権を行使したものと主張するが、看板の掲示から宅配便の扱いはほぼ明らかであって、取扱いの有無は質問するまでもないことである。また、以上に述べた山本と明美のやりとりからすると、山本としては、明美が突然の税務署員の来訪に戸惑った様子であることを感じたため、明美の気持ちを和らげようと、思いつきで外で看板を見かけた宅配便について話題にしたと考えるのが自然であり、合理的である。
3 以上によれば、前記認定のとおり、山本が無断で原告事務所に立ち入ったものとは認められず、また、山本が従業員の有無や宅配便の扱いを話題にしている点についても、原告の所得に関係する従業員数や事業内容を調査するために質問したものとは認められない。
4 そうすると、調査の違法をいう原告の主張は採用することができない。
三 推計の必要性(請求原因4及び被告署長の主張1)について
1 所得税法一五六条の定める推計課税とは、所得金額を実額で把握することが困難な場合に、税負担の公平の観点から、実額課税の代替的な手段として、合理的な推計の方法で所得を算定することを課税庁に許容したものと解するのが相当である。したがって、推計を行う前提として、所得金額を実額で把握することが困難であることが要件となり、具体的には、納税義務者が実額を把握するに足る帳簿書類を備えていない場合、納税義務者が税務調査に協力しない結果実額を把握できない場合などがこれにあたる。
2 当事者間に争いのない事実、前記認定事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
(一) 平成元年当時筑紫税務署の統括官であった竹上太郎は、原告の本件各年分及び昭和六三年分の確定申告書を審査したところ、申告書に事業専従者控除額と所得金額の記載しかなく、収入金額や必要経費の記載がなかったことから、これを確認する必要があると考え、山本に対して、右調査理由を告げて調査を命じた。
(二) 山本は、平成元年七月三一日に調査に着手し、原告方を訪ねたが、前記二のとおり原告やヒロヨ等が不在であったため、この日は同年八月二日に再度訪問する旨の不在連絡票を明美に託して帰った。その後、ヒロヨからの電話を通じて調査の延期を求める等のやりとりがあり、山本は、同年九月六日に再度原告事務所に調査に訪れることとなった。
(三) 平成元年九月六日、山本が午後二時ころ原告方に臨場したところ、原告方の敷地内に民主商工会(以下「民商」という。)の会員と思われる者が二、三名おり、山本は、これらの者に案内されて原告の住居内に入った。山本が案内された部屋には原告及びヒロヨの他民商会員や原告の親戚等合わせて約一〇名がおり、また、部屋の壁面には、税務調査における事前通知の励行、自主申告権の尊重、調査理由の開示及び調査に関する立会い等に関する抗議文が記載された模造紙が貼られていた。
山本は、民商会員らに退席を求めたが、これらの者は山本の要求に応じず、また、ヒロヨは、山本の前記平成元年七月三一日の来訪に言及した上、そのころ紛失した重要書類の行方について山本に心当たりがないかを尋ねるなどし、山本が事前に連絡しないで調査に訪れたことが疑念を生むことになったなどと発言した。さらに、山本は、ヒロヨや民商会員から壁面に貼付された抗議文を読むよう要求されてこれに目を通した上、事前通知に関して、法律上通知は要求されておらずケースバイケースで運用されており、本件では原告の普段の日常的な業務の状況を見たいために通知しなかった旨を述べるなどした。しかし、原告側は山本の説明に納得せず、また具体的な調査理由を明らかにしなければ調査に入らせないなどと言い、両者の間で四〇分くらい問答が続いた挙句、山本は、この日の調査を断念して原告方を辞去した。
(四) その後、山本は、原告に電話連絡をして日程を調整した上平成元年一〇月二五日に再度原告方を訪れることになったが、右調整のための電話でも、原告側は、前回示した要求に対して山本から納得のいく回答が得られなければ調査に入らせないなどと言い続けていた。
右同日、山本が原告方に臨場し原告住居に案内されると、民商会員二名が同席しており、山本が会員の退席を求めるとともに所得税の調査に入りたい旨告げると、右会員の一人が事前通知や調査理由の開示についての回答がまだ得られていないことを理由に調査に入らせないと言い、また、原告が七月三一日に事前通知なしに原告事務所に臨場したことを謝罪するよう求めたり、紛失した書類の件を再度問題にするなどした。山本は、調査理由を所得内容の確認であると告げ、調査に関係のない者が退席に応じなければ税務署独自の調査を進めることにもなりかねないなどと説いたが、それ以上話は進まず、一〇分ないし一五分程度右のようなやりとりがあった後、山本は、この日も調査を断念した。
(五) 山本は、その後、平成元年一一月一〇日の午後も原告方に臨場したが、この日も原告及びヒロヨの他、民商会員二名が立会い、これまで同様のやりとりが続いた。山本は、原告側と十分話し合い理解を得たところで調査を進めようと考え、この日は二時間ないし三時間かけて説得を試みたが、原告側は従前の態度を崩さず、民商会員から「全面戦争や」などという発言があったため、山本は、原告が山本の謝罪や原告において納得できる説明がない限り調査に応じない意向であることを確認した上、これ以上の調査は無理と判断し、今後は独自に調査するほかないことを原告に告げて原告方を立ち去った。
3 以上のとおり、原告は、初回を除く三度にわたる山本の臨場のいずれの場合においても、民商会員等を複数名立ち会わせ、山本がこれらの者の退席を求めても応じることなく、初回に山本が事前通知をしないで臨場した理由の説明や調査理由の開示、初回の臨場時における原告事務所への立入りや明美に対する質問についての謝罪等を要求し続け、これらに対する納得できる対応がない以上は調査に入らせないとの態度を固持し続けたものである。しかし、税務調査における具体的な手法及び進行は担当係官の裁量に委ねられているというべきであり、事前に通知をするか否か、第三者の立会いを認めるか否か、調査理由をどこまで開示するかなどについても、当該調査の目的、経緯及び状況などの諸事情に照らし、担当係官が合理的な裁量により決すべきものであるところ、右の諸点に関する山本の判断ないし対応に格別問題はない。また、前記二のとおり山本の初回の臨場における言動に違法性は認められないから、これを理由とする謝罪要求に山本が応じないからといって調査を拒絶する理由とはなりえないことは明らかである。
そうすると、原告は、その主観的な意図はともかくとして、客観的には正当な理由がないのに税務調査を著しく阻害したものと言わざるを得ないし、加えて原告のこのような態度が改められることは容易に期待し得ない状況にあったのであるから、課税庁としては原告の所得金額の実額を把握することができない状態であったものといって差し支えない。
したがって、推計の必要性が存在したことは明らかである。
四 推計による計算方法(被告署長の主張2)について
1 原告に関する本件各年分の売上原価の額及び事業専従者控除額については、両当事者間に争いがない。
2 被告署長の推計による計算方法について、当事者間に争いのない事実及び証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
被告署長は、本件各年分の原告の所得金額について推計を行っているところ、これは、前記争いのない売上原価について、類似同業者を抽出しこれらの者の本件各年分の売上原価率及び所得率の平均値を適用して原告の各売上金額及び所得金額を推計するという方法によるものであること、被告署長主張のとおりの右類似同業者の抽出基準(ここでは本件各年分のほか昭和六三年分も対象とされているが、それは、原告に対しては本件各年分と併せて昭和六三年分の所得税確定申告についても推計に基づく更正処分がなされたからである。)によると二名の同業者(以下「本件類似同業者」という。)が抽出されること、本件各年における本件類似同業者の売上金額、売上原価の額及び所得金額は別表三記載のとおりであり、これに基づいて算出した本件類似同業者の売上原価率及び所得率並びにその平均値は別表四記載のとおりであること、原告の本件各年分の売上原価の額を右売上原価率の平均値で除して算出した売上金額及び右売上金額に前記所得率の平均値を乗じて算出した事業専従者控除額控除前の所得金額、右金額から前記争いのない事業専従者控除額を控除した本件各年分の事業所得の金額は、別表五記載のとおりであること、以上の事実が認められる。
五 推計の合理性(請求原因4及び被告署長の主張3)について
1 推計課税は、前記のとおり、所得金額の実額把握が困難な場合の代替手段として課税庁に許容された制度であると解されるから、推計課税において要求される合理性の程度は、それが真実の所得を認定しうる最も合理的なものであることまで要求されるものではなく、所得の実額の近似値を求めうる程度の一応の合理性があれば足りるというべきである。しかし、課税庁の採用した推計方法が右の程度の合理性さえも有しない場合には、当該推計は合理性を欠くものとして違法の評価を免れない。
2 そこで検討するに、被告署長が採用した推計の方法は、反面調査により把握した原告の仕入金額を売上原価とみなした上、一定の基準で抽出した類似同業者の売上原価率及び所得率を求め、その平均値をもって原告の売上原価率及び所得率とし、(売上原価÷売上原価率×所得率-事業専従者控除額)という計算式により原告の事業所得金額を推計したというものである(前記四)ところ、このような推計方法は一般論としては一応の合理性を有しているものということができる。
問題は本件における右方式の具体的な適用(当てはめ)の仕方であるが、本件各年分の売上原価の額及び事業専従者控除額については争いがない(前記四1)から、結局のところ残された検討課題は、売上原価率及び所得率を求める過程、つまりは、類似同業者の抽出基準と抽出作業の合理性・相当性、抽出された本件類似同業者毎の売上原価率及び所得率の平均値をもって原告の売上原価率及び所得率としたことの合理性・相当性ということになる。
3 そして、本件被告署長の設定した類似同業者の抽出基準については、その売上金額や所得金額を確実に把握することのできる青色申告の承認を受けている業者で、原告と業種・業態、事業規模、地域的近接性等においてなるべく近似している業者を抽出しようという意図に出たものであり、それなりの合理性を有しているものということができるが、この点、原告は、類似同業者の抽出基準及び抽出作業について前記事実欄四3(二)及び(三)のとおりの疑問を提起しているので、まずこの点につき検討する。
(一) 原告は、被告署長の設定した抽出基準は、売上原価の額について原告のそれの二分の一から二倍とする点で範囲が広すぎると主張するが、右のいわゆる倍半基準は、同業者比率法において事業規模の類似する同業者を抽出するための基準として一般的に合理的なものと認めることができ、また、抽出基準の設定については、当該納税者と営業規模をほぼ同じくする者を抽出しつつ、同時にある程度の件数を確保して同業者間の差異をその平均化によって捨象できるよう配慮することも必要であることからすれば、右の程度の幅を設けることは相当というべきである。特に、本件の場合、最終的に抽出された類似同業者が二件であることからすれば、右の程度の幅を設けることは類似同業者を抽出するために必要であったというべきである。
なお、右基準による抽出の結果、同業者の中に他の同業者と比較して著しく異なった数値を示すものがある場合には、これを排除した上で平均値を適用するなどの配慮が必要となるが、これは、抽出結果の適用の点で別に検討されるべき問題であり、基準自体としての合理性を否定すべきではない。
(二) また、原告は、抽出された二業者の所在地、業態、業務内容等が明らかでないことから恣意的な抽出である旨主張するが、証拠(<証拠略>)によれば、本件類似同業者の抽出は、福岡国税局長が抽出基準地区の各税務署長に対して右基準に合致する業者を報告するよう求めた通達の回答結果を採用したものであることが認められる。そして、被告署長が右の各点等を明らかにし得ないとするのは事柄の性格上やむを得ないものがあるというべきであるから、この点をとらえて、恣意的な抽出であるとするのは当たらない。
(三) さらに、原告は、右抽出結果が、更正決定時及び異議決定時と、審査裁決時とで件数が異なっていることから、抽出過程が信用できないと主張するので、この点につき検討すると、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、被告署長の主張する本件類似同業者二名は、本件訴訟提起後にあらためて同被告において原告の類似同業者を抽出した結果であるところ、更正決定時及び異議決定時における調査では、被告署長主張のとおりの類似同業者の抽出基準により、右二名を含む四名が抽出されていたのに、その後の審査裁決時においては、右四業者のうちの二業者が除かれ、本訴提起後におけると同じ二業者となったこと、そして、本訴提起後の抽出作業においては、特に前記四業者につき、抽出基準の該当の有無につき直接当該業者に尋ねることを各管轄税務署長に依頼し、その結果、うち二業者については、本件各年及び昭和六三年のいずれにおいても中古車又は新車の販売を行っているという基準にあてはまらないことが明らかとなったこと、もっとも、前記更正決定時及び異議決定時における調査でも、各業者の過去の調査実績や事業概況書を参照したり、これらの資料がない業者については電話等で確認しながら、その該当の有無を調査するという方法をとってはいること、しかしながら、右調査においては、自動車販売に関する要件が必ずしも正確に適用されず、その結果、前記抽出基準に該当しない二業者をも抽出してしまったこと、以上の事実が認められる。
これによれば、右の一連の過程において抽出された類似同業者数に偶々齟齬があるからといって、本件類似同業者の抽出作業自体の信頼性まで否定するのは相当でないものというべきである。
4 次に、前記抽出基準、抽出作業及び抽出結果適用の各合理性・相当性について具体的に判断することとするが、まず、その前提として、原告の事業形態について検討すると、当事者間に争いのない事実並びに証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実認定及びそれに基づく判断が導かれる。
(一) 原告の事業形態は自動車の板金塗装並びに新車及び中古車の販売であるが、前者を基本的な業態とし、自動車販売は兼業という程の規模にはなっていない。
(二) 本件各年分の原告の仕入金額の内訳は別表二のとおりであり、そのうち、自動車販売会社たる取引先は、日産サニー福岡販売(株)、九州スズキ販売(株)、(株)スズキ自販福岡、(株)スズキカルタス福岡、(株)マツダオート福岡、(有)井上自動車、福岡トヨペット(株)及び松岡モータース(松岡武男)であり、飯塚部品(株)をはじめとするその余の取引先が自動車板金塗装関係の仕入先である。
(三) 原告の事業のうち、自動車板金塗装は、小さいものであれば三〇〇〇円位から大きいものでは部品代と工賃を合わせて五〇万円になるものまで様々であるが、平均すると一件当たりの売上金額は四万円ないし五万円である。これに対して、自動車販売は、新車なら一台当たり一五〇万円、二〇〇万円と百万円単位の売上金額となり、中古車の場合には、二〇万円、三〇万円といった車両本体の価格に必要な修理代等を加えたものが売上金額となる。
そして、売上原価率については、自動車板金塗装が二割弱位であるのに対し、自動車販売については新車なら八割弱位であり、中古車販売の場合には前記のようなその販売形態からして右両者の混合したものとなるが、車両本体の売上原価率についていえば新車販売の場合のそれと大差はないものと考えられる。
(四) 別表二の原告の仕入金額(売上原価)のうち、昭和六一年分の自動車販売関係の仕入れは(株)スズキ自販福岡からの一五三万八二三〇円のみであり((有)井上自動車からの同年分の仕入金額は四五九〇円にすぎないから、右は自動車板金塗装関係の仕入れであるものと認められる。)、昭和六二年分のそれは、日産サニー福岡販売(株)からの一六八万六八六〇円、九州スズキ販売(株)からの七六万二九九八円、(株)スズキカルタス福岡からの一一〇万円、(株)マツダオート福岡からの四九万円、(有)井上自動車からの三七万二四〇〇円、福岡トヨペット(株)からの四〇万三五七〇円、以上合計四八一万五八二八円である。そして、これらの仕入金額には、少なくとも自動車一台の仕入代金が含まれている。
もっとも、これらの中には自動車板金塗装関係の仕入分が含まれている可能性があるので、この点を検討すると、証拠(<証拠略>)によれば、昭和六一年分の仕入金額及び昭和六二年分のうち、日産サニー福岡販売(株)、(株)スズキカルタス福岡、(有)井上自動車及び福岡トヨペット(株)からの仕入金額については、自動車販売関係の仕入金額であることが認められ、昭和六二年分のうち、九州スズキ販売(株)からの七六万二九九八円中の七二万九九二〇円、(株)マツダオート福岡からの四九万円中四七万円についても自動車販売関係の仕入金額であることが認められるから、右自動車販売会社からの仕入金額については、そのほとんどすべてが自動車の仕入金額であるということができる。
5 前記4の認定及び判断に基づいて、さらに本件推計の合理性を検討する。
(一) まず、被告署長の設定した類似同業者の抽出基準については、前記3のとおりそれなりの合理性を有しているものということができる。
しかしながら、右基準を当てはめた結果、抽出された類似同業者数が二業者にとどまるというのは、いかにも少なすぎるものと言わざるを得ない。(<証拠略>によれば、同証人ら課税庁の担当者としても、前記抽出基準を当てはめた結果、もっと多くの類似同業者(二十業者程度)が抽出されるものと予想していたことが認められる。)。もちろん、二業者しか抽出されていないということ自体から直ちに推計の合理性が否定されるものではなく、その業種や業態が特殊なものである場合などには、どうしてもこの程度の数の類似同業者しか抽出され得ず、それに基づいて同業者率を算出するほかはないということもあることは承認しなければならない。しかし、課税庁としては、より多くの類似同業者を抽出するために最善の努力を尽くすべきことも又当然であって、そのような観点から抽出基準を見直し、修正することが必要な場合もあるものというべきところ、原告の業種は決して特殊なものではないし、また、その事業形態が自動車板金塗装業を主とし、自動車販売業は兼業という程の規模になっていないことを課税庁側においても認識していたのであるから(<証拠略>)、被告署長としては、右のような認識を踏まえて、もっと多数の類似同業者を抽出することのできる基準を模索すべきであり、そして、それは決して不可能ではなかったものと思われる。
(二) 次に、板金塗装関係の売上原価率と自動車販売関係のそれとの間に大きな格差がある(そのことは課税庁の担当者らにとっては殆ど自明のことに属する筈である。)ため、両者を渾然一体として把握するときは売上原価全体の中に占めるそれぞれの割合が如何なるものであるかによって売上金額が大きく異なってくることになるから、このような異種の売上が併存している場合にはその点に配慮した慎重な取扱いがなされるべきである。
そうすると、本件においては、兼業という程の規模になっていないとはいうもののかなりの割合で自動車販売業も営んでいるという原告の事業形態に着目することが不可欠であり、自動車販売による売上原価及び売上金額と板金塗装によるそれとを区別して検討することが必要ではなかったかということが考えられるのである。
(三) したがって、仮に類似同業者の抽出基準としては被告署長主張のとおりのものを維持するとしても、その結果抽出された本件類似同業者については、それが二業者にすぎないという点にも鑑み、前記(二)のような観点に照らして、その売上原価中に占める自動車板金塗装のそれと自動車販売のそれを区別した上で原告のそれとを相互に対比してみるなどのより具体的かつ個別的な検討をして、推計の基礎となるべき同業者率を算出すべきであり、あるいは、被告署長が採用した方法によって算出された本件推計における同業者率の合理性について右のような検討を含む多面的な検証がなされるべきである。
このような観点からすると、本件類似同業者AとBの売上原価率と所得率及びこれに基づいて算出された本件推計の基礎となっている同業者率(別表四)については次のような問題点があるものということができる。
(1) 別表四によれば、売上原価率は、両年ともAがBよりもほぼ六パーセント程度高い。ところが、所得率についても、両年ともAがBよりも五パーセント前後高い。
一般に、売上原価率が低い方が所得率は高くなるという関係にあるものと言ってよいから、AとBはその業態又は事業規模を相当異にするのではないかということが考えられる。事実、別表三によれば、Aの売上金額は、昭和六一年分が一三〇六万円余、昭和六二年分が一五四二万円余であるのに対して、Bのそれは、昭和六一年分が二一四九万円余、昭和六二年分が二七二四万円余であり、両年ともAよりもBの方が八四〇万円から一一八〇万円程度多い。このような事業規模の差や経費面の差(中でも従業員数の多少が最も主要な原因であろうと思われる。)が、Bの方が売上原価率が低いのに所得率も低いという結果をもたらしているものと思われる。
このように、AとBの間にはかなり顕著な差異があるものと見られるのに、被告署長は、A、Bそれぞれの売上原価率と所得率を計算し、その平均値をもって原告に適用すべき同業者率(売上原価率及び所得率)としている。抽出された類似同業者の間にある程度の個体差があっても、その同業者数が相当多ければ、このような単純な手法によっても各個体差は平均値の中に解消されることが期待できるであろうが、本件のように二業者しか抽出されていないというときにまで、このような単純な手法でこと足りるとするのは疑問としなければならない。
(2) Bの売上原価率が、昭和六一年は一九・二パーセント、昭和六二年が二一・九パーセントとかなり低く、自動車板金塗装のそれに近似することに照らすと、Bは、「自動車板金業者であって、しかも、昭和六一年ないし昭和六三年の各年分とも中古車又は新車の販売を行っているもの」という被告署長の設定した類似同業者の抽出基準に合致する業者であるとはいうものの、その売上原価ひいては売上金額中に占める自動車販売の割合はかなり低い(純粋の自動車板金業者に極めて近い)業者であるものと断じて差し支えない。
また、Aについても、前記4(四)で認定したとおり一定の自動車販売の実績がある原告よりは自動車販売の占める割合が低かった可能性がある。そうだとすれば、このように自動車販売の占める割合が低く、したがって売上原価率も低いA、Bの売上原価率の平均値をもって原告に適用すべき売上原価率としたのでは、真実の原告の売上原価率とは相当大きく乖離することになってしまうおそれがあるものといわなければならない。
(3) さらに所得率については、売上原価率が高くなればなるほど低くなる関係にあることから、本件の場合、自動車販売の所得率は本件推計における所得率に比しより低くなるはずであり、各別にそれぞれの所得率を適用した場合に算出される事業専従者控除額控除前の所得金額は、少なくとも本件推計における所得率を適用した額よりも低額になる蓋然性が大である。
6 そこで、以上の問題点について、本件各年分の具体的検討を行う。なお、原告の売上は、前記4(四)のとおり、昭和六一年分と昭和六二年分との間に、特に自動車販売について顕著な差異が認められることから、右各年分を個別に検討する。
(一) 昭和六一年分について
(1) 昭和六一年分については、前記のとおり、自動車販売関係の仕入が一五三万八二三〇円のみであり、その売上原価全体に占める自動車販売の割合は三七・三パーセントである。そこで、右自動車販売関係につき八割の売上原価率とし、別表二の仕入金額から右自動車販売関係の仕入金額を控除した残額である自動車板金塗装関係につき二割の売上原価率として、原告の売上金額を算定すれば、自動車板金塗装が一二九一万八九三五円、自動車販売が一九二万二七八七円で、合計一四八四万一七二二円となる。そして、この数値を基に自動車板金塗装と自動車販売を平均した売上原価率を逆算すると、二七・七パーセントとなる。他方、本件類似同業者の平均売上原価率は二三パーセントであるから、両者の間の差は相当なものがある。
したがって、所得率は本件推計による所得率に比してより低率になるべき関係にあるところ、仮に本件推計で適用された所得率二五パーセントを前記売上金額にそのまま適用した場合においても、その金額は三七一万〇四三〇円となり、ここから事業専従者控除額を控除した事業所得の金額は三二六万〇四三〇円となって、本件推計による事業所得金額に比し七七万〇〇二三円低額になる。
(2) しかしながら、推計の基礎となる反面調査により実態を把握することは容易なことではなく、実額との間に相当の差が出ることが一般的に推測されるところ、原告が主張する昭和六一年分の事業所得の実額は、売上原価が六六一万四三二三円であって、被告署長が反面調査により把握した別表二の仕入金額(売上原価)よりも二四九万二三〇六円も上回っている。そこで、反面調査の右のような限界も考慮にいれ、原告が実額として主張する売上原価に基づいて前同様の推計を試みることとする。なお、本件各年分の売上原価(別表二)の額は当事者間に争いがないが、これは、そのような仕入れがあったことは争いがないというにとどまり、本件各年分の売上原価がこれ以上はないというまでの趣旨ではないことは明らかであるから、本件各年分の売上原価の額は原告が自認する範囲において認めることができる。
右売上原価のうち自動車仕入原価を原告の主張するとおり二二四万八二三〇円、これを控除した残額四三六万六〇九三円を板金塗装関係の仕入原価と考え、売上原価率を前者につき八割、後者につき二割として原告の売上金額を計算すると、合計二四六四万〇七五二円となり、所得率についてはより割合が低いBのそれである二二・四パーセントを使用して事業所得金額を試算すると、事業専従者控除額控除前の所得金額が五五一万九五二八円となり、被告の推計による四四八万〇四五三円を大きく上回っている。また、仮に自動車販売による所得を加えずに、自動車板金塗装関係の所得だけを計算しても四八九万〇〇二四円となり、既に右四四八万〇四五三円を上回る。
(3) 以上の点を総合的に考慮すると、本件類似同業者A、Bの売上原価率及び所得率の平均値をもって原告に適用すべき同業者率とし、原告の所得額を推計した被告の手法には問題がないわけではないが、昭和六一年分については、偶々原告の売上に占める自動車販売の割合及び金額が比較的少ないこともあって、本件推計結果が原告の所得の近似値を求める程度の一応の合理性さえ有しない程に実態と隔たっているとまではいえず、むしろ、本件推計結果と原告主張の実額との間でも均衡を失しないものということができる。
したがって、同年分についての本件推計は合理性を肯定することができる。
(二) 昭和六二年分について
(1) 昭和六二年分についても、自動車販売会社からの仕入金額のほとんどすべてが車両の仕入価格と認められるところ、仮にその全部が車両本体の仕入れであり、自動車板金塗装関係の仕入れを含まないとすれば、その売上原価全体に占める自動車販売の割合は五八・九パーセントとなって、割合的にも金額的にもかなりの規模に達しているものということができる。そして、売上原価率を自動車板金塗装関係につき二割、自動車販売関係につき八割として原告の売上金額を算定すれば、自動車板金塗装が一六七三万三九五〇円、自動車販売が六〇一万九七八五円で、合計二二七五万三七三五円となる。また、自動車板金塗装と自動車販売を平均した売上原価率を逆算すると、三五・八パーセントとなり、本件類似同業者の売上原価率の平均値である二五パーセントとの間に相当大きな差のあることが認められる。また、そうだとすると、所得率については本件推計におけるそれよりもさらに低率になるべきところ、仮に本件推計で適用された所得率を前記売上金額にそのまま適用した場合においても、その金額は四三二万三二〇九円となり、ここから事業専従者控除額を控除した事業所得の金額は三七二万三二〇九円となって、本件推計による事業所得金額に比し一八八万〇三八〇円低いことが認められる。
(2) そして、これを、原告の主張する実額との関係で検討しても、原告が自認する売上原価は九四五万九七三八円であり、そのうち、自動車販売に関する仕入原価は五〇二万二七五〇円であるから、その余の四四三万六九八八円を板金塗装業関係の仕入原価と見て、売上原価率を前者につき八割、後者につき二割とし、所得率を本件推計におけると同様に一九パーセントとして試算すると、事業専従者控除額控除前の所得金額は五四〇万八〇四一円となり、これから事業専従者控除額六〇万円を控除した事業所得金額は、四八〇万八〇四一円となって、本件推計による同所得金額五六〇万三五八九円を未だに下回っている。
なお、本件更正決定における所得金額は本件推計によるそれを下回る五三一万五九八〇円であるが、右の試算による所得金額はこれをも下回っている。
(3) 以上によれば、昭和六二年分については、原告の売上全体に占める自動車販売関係の割合及び金額が大きいこと、そのため本件類似業者の売上原価率との間に顕著な不均衡が認められること、本件推計結果と原告主張の実額との間でも均衡を失することが認められる。
したがって、同年分については、類似同業者が二業者しか抽出されなかったにもかかわらず、抽出基準を再検討しなかった点においても疑問の余地があるが、それ以上に、本件類似同業者について個別具体的に原告の業態との対比をしたり、原告の売上原価について自動車板金塗装関係と自動車販売関係とに区分してみるなどして、より合理的で相当性のある同業者率を割り出すべきであるのに、これを怠り、漫然と本件類似同業者の売上原価率及び所得率の平均値をもって原告に適用すべき同業者率とした点において重大な疑問があるものといわざるを得ない。
そうすると、このような疑問のある同業者率に基づいて原告の所得額を計算した本件推計も又大いに疑問があるものといわなければならない。
確かに、税務署長等の調査能力にも時間的・物理的制約があることは否めず、それ故に推計課税において要求される合理性の程度については一応の合理性があれば足りるものとされているのであるが、このように推計の基礎となるべき同業者率を算出する過程及び方法並びにその結果に重大な疑問があり、しかも、既に見た程度の作業を課税庁に課すことは、決して難きを強いるものではない以上、本件推計は右の意味の一応の合理性をも有しないものというほかはない。
7 以上によれば、本件各更正のうち、昭和六一年分については推計の合理性が認められるが、昭和六二年分については合理性が認められず、その更正決定及び過少申告加算税賦課決定の各処分は、原告主張の限度で一部取消しを免れない。
六 実額主張(被告署長の主張4、実額についての原告の主張及び同被告の主張)について
1 推計課税が、前記のとおり、実額の把握が困難な場合の代替手段として認められた課税方法であることからすると、推計方法に合理性が認められる場合であっても、その後に納税者の所得金額の実額が明らかとなった場合には、実額課税の原則に戻って、推計により算出された所得金額はその存在意義を失い、その課税処分は、少なくとも推計による所得金額が実額を超える限度では不適法なものとして取消原因となると解するのが相当である。
そして、右実額の立証責任については、これを主張する納税者の側にあると解すべきであり、納税者の主張する収入金額が当該年分の収入を網羅し、その主張する必要経費が当該年に発生確定し事業との関連性を有することを合理的な疑いを容れない程度まで立証することが必要である。ただし、右の立証においては、納税者の事業形態に鑑み、相当な資料によって立証がなされれば足り、日計表及び請求書や領収書を全体として検討し、納税者の所得金額の全体が明らかになったと認められれば、これを実額として認めることができるものと解すべきである。
そこで、本件推計の合理性が肯定された昭和六一年分について、右の見地から原告の実額主張を検討する。
2(一) 収入金額
<証拠略>によれば、昭和六一年分の原告の売上金額が、少なくとも一七五五万二六三三円であることが認められる。
しかしながら、原告の実額主張は平成四年七月二八日の本件第五回口頭弁論期日において陳述された同日付準備書面(四)で初めて明らかにされたものであるところ、そこでは昭和六一年分の売上高は一六三八万八〇七三円と主張されていたのに、その後、被告署長から疑問点を指摘されるなどした結果、平成五年七月五日の第一〇回口頭弁論期日で陳述された同日付準備書面(八)で主張を訂正し、さらに、平成八年一〇月二二日の口頭弁論終結時に陳述された同年九月三〇日付準備書面において前記認定の売上金額を主張するに至ったものであり、しかも、今なお、右売上金額に計上されるべきなのにその処理がなされていないと思われる領収書が多数存在し、その合計は領収内容が明らかなものだけで少なくとも一九万七一〇〇円(<証拠略>)、領収内容が不明なものを合わせると二六万二五〇〇円(<証拠略>)であることが認められる(別表六)。
(二) 支出金額
原告は、昭和六一年分の支出金額のうち、売上原価を除くその他の経費として七四一万〇四二二円を主張するが、証拠(<証拠略>)によれば、領収書の宛名が原告以外の名称となっており、原告の事業に関連した必要経費として支出されたものかどうかにつき疑問が残るものが複数存在し、その合計は四万七九七四円であることが認められる。
(三) このように、原告の実額主張は、収入金額については未だ計上されていない売上が相当程度存在する疑いが残るとともに、支出金額についても必要経費の一部に過大計上の疑いが残る。
3 そうすると、昭和六一年分に関する原告の所得金額の主張は、未だこれを実額であるものと認めるまでには至らないものというほかはない。
七 結論
以上の次第であるから、原告の本訴請求のうち、被告署長に対し、昭和六二年分の所得税の更正及び過少申告加算税賦課決定の一部取消しを求める点は理由があるからこれを認容し、同被告に対するその余の請求及び被告国に対する請求についてはいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 西理 岡健太郎 茂木典子)
<別表略>